林智子(以下林) 9歳の時、父の研究のため渡米することになり、原子爆弾を作った国立研究所があるロスアラモスという、砂漠地帯の天空の城のような場所に1年間住みました。そこは本当に科学者の街で、小学校でもサイエンスフェアがあって、色々な実験をしてポスター発表のようなこともして、科学に触れる機会は多かったと思います。一度家族で出かけた時に、砂漠の真ん中で車が止まってしまうということがありました。誰も助けに来てくれなかったらどうしようという不安と大自然の中での自分の存在のちっぽけさと人とのつながりへの愛おしさを感じて、日本で小学校に通っていた時には味わうことができなかった経験をしました。その土地はそう感じざるを得ないほど広大で、そこに住むアメリカン・インディアンのスピリチュアルな世界観も含めて、人や自然を含むつながりや関係性をテーマにしながらサイエンスに近い距離で行っている現在の制作活動に大きく影響していると思います。
船越雅代(以下船越) 幼い頃、私の家には毎週末のように父の海外の取引先の方達がいらっしゃいました。いろんな国の言語が飛び交うなか、みんなで食卓を囲み、母がご馳走を作り、父がワインを飲むそばでちょこんと座っている、私はそういう時間が好きでした。やがて、自宅近くの古本屋さんで買った英語の本を見ながら料理を作るようになり、最初はお菓子から。小学校の時には、遊びに行く前に100枚ぐらいのパンケーキを作ってラップにくるみ、友人たちに配りました。これがたぶん食べ物で人を喜ばせた最初の体験。強烈に覚えています。中学生の頃には洋食も和食も作るようになり、学校にも持っていくし家族にも食べてもらう、お客様が来た時にはより張り切って母の代わりに作るようになりました。お客様が来てお食事を出してという、これが私の原風景だなと思います。5年前に始めた「Farmoon」は、林さんのようにクリエイティブな人たちと、料理を軸にクロスオーバーする場所でもあります。主役はあくまで食材。体験とかフィールドワークで取り入れたパワーを媒介者である私の⾝体におろしてきて、料理という形で皆さんに提供する。スピリチュアルに聞こえるかもしれませんが、そういった感覚で臨んでいます。
池田哲也(以下池田) 私はお二人のように子供の頃の体験とか、コレというきっかけみたいなものが特にあったわけではないのですが、敢えて言うならば人生の節々で色々な選択をするタイミングがあって、その時に選んだ道の結果として現在の仕事に就いているという感じです。高校生で化学が得
意だったというのもあって大学は薬学部に進みました。卒業して就職する時に、薬剤師の免許も取ったことだしと病院薬剤師になろうと思ったのですが、研修初日で思い描いていた仕事内容とのギャップに気づいて、さてどうしようかなと。当時はバブル期で景気が良くて転職市場も活況でしたし、世界的なバイオブームでもありました。特にアメリカのベイエリアでバイオベンチャーが続々と誕生するタイミングでもあったため、外資系バイオ企業の日本法人に就職しました。
林 バブル期の1980年代って、ちょうど私がロスアラモスに住んでいた子供の頃ですね。バイオが熱かったのですね、時代として。
池田 転職情報誌もすごく分厚くてね。そのバイオ企業では大学の先生や研究者に対して機器の技術サポートを行うという仕事だったんですが、卒業研究で分析機器を使っていたこと、子どもの頃は教師か新聞記者になりたいと考えていたこともあり、やってみたら凄くおもしろかった。そのような感じで、入った会社がたまたまバイオだったという、本当にたまたまなんですね。それがおもしろくて自分に合っていたし、経験を重ねていくにつれて興味がどんどん湧いてきてあれもこれもやりたいと広がっていき、今に至ります。